四つ木4.3万

僕はなぜここに”流れついたのか”

ある僕は日突然縁もゆかりもない、四つ木というに街に廃墟を借りた。きっかけは「改装可能物件」で検索して見つかったネットのページ、「太っ腹すぎる平屋」。「最近四つ木に引っ越して~」と話して、ピンとくる人はあまりいないかもしれない。かくいう自分も「四つ木」は交通情報で聞くぐらい、よく渋滞しているということぐらいしか知らなかった。

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建物は当然、ある場所、ある街にあるわけだけど。建物の壁から外は不動産屋のサイトからはわからない。 当時はそれでもよかった。どうせ自分で家を借りるなら、月々の家賃を漫然と払うのはやめよう、とだけ考えていた。家でネットを見てゴロゴロしてたらひと月なんて一瞬で過ぎてしまう。4~5万円、そこそこのカメラが買えるような額が、自動的に引き落とされていくことが僕にはどうしても許せなかった。4~5万の買い物を毎月するならば、いろいろな角度からなめるように見回して、楽しみ尽くしたい。家を4~5万でかりるということも本来そういうことなんじゃないのか。しかも僕は何かしらの固い素材をのこぎりで切るのが好きだった。家賃と面積、間取り、原状復帰不要、ある一定の条件を満たしていることを確認したら、あまり悩まずにさっさと借りてしまった。

 さて家の鍵の番号を教わって、駅からふらふら歩いて街を見回し、家に着いたら窓を全部開けて、よどんだ空気を入れ替えた。その場所に立ってみて町や家の様子から、ああなるほどねと妙に納得したこともあったけど、ここの場所ではそれ以上にご近所さんたちが聞いてもいないのに集まってきて、僕にいろいろ話して聞かせてくれた。最初に住んでいたのは中国人だったとか、ネパール人だったとか、トルコ人だったとか、みんな過去の住人の事を悪気なしに人種で呼んだ。いったい誰が、いつ住んでいたのかよくわからないが、様々な出自を持つ3~4人が入れ代わり、立ち代わりこの一軒家を分割して暮らしていたようだ。そして僕はここの家主となった。僕は20年ぶりの日本人だという。僕が廃墟を借りた四つ木の街は、荒川放水路のそば、ゼロメートル地帯に、木造住宅が密集するコテコテの下町だった。腕を広げればふさがってしまうような裏路地に、様々な出自の人間が密集して暮らしている。新入りの僕のことが気になるようで、換気用に開け放った窓から覗き込んで、いろいろな人が話しかけてきてくれた。僕もそれを好機とみて、前の住民が残していったすだれやカーテンをすべて取り払い、窓を開け放ったままにした。

 古き良き、昭和レトロ、下町流の~とかいって美化しきれない部分も多くある。もっと切実な問題として、壊れた雨どいや、はがれかけたトタンの屋根など。自分と周囲のために修理しなくてはならない部分がいくつもある。高齢化、防災、貧富の格差、人種差別、性差別、ニュースで聞いた大きな問題が、小さく、切実で卑近な問題として、台風の日の雨どいの排水力となって立ち現れてくる。隣り合う様々な人間とまずは快適に暮らしていくために、建築がある。ここにはいろいろな場所からやってきた人間が流れ着き、身を寄せ合い住み着いている。古くは東アジアの国々から、今では広く様々な国の人々が。括弧つきでない多様性を目の当たりにした。こうして僕は、やっぱり自分のためだけではつまらないと率直に思った。古い建築が好き、変わった街が好き、多様性を認めたい。口先で言うのは簡単で、きれいごとになってしまいかねないことも、この建物について自分ごととして考えることを介して、より責任を持って向き合えそうな気がした。