上越国境から前橋へ

上越国境から前橋へ、群馬を旅して感じたことを

写真とともに振り返ってみる。

 

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上越国境を結ぶ新清水トンネルは、ループトンネルで有名な旧線に付加する形で作られた。新清水トンネル谷川岳直下を貫く大深度トンネルなのに対して、旧線はより標高の高い場所まで上り詰めてから短いトンネルで上越国境を超えていく。そんな上越国境の群馬県側最後の駅が土合駅だ。新線と旧線、上下線の間にできた数百メートルの高低差を長大なトンネルと通路が結んでいる。国境の険しい山を越えるという身も蓋もない目的を持って存在するはずの空間は、異様な静けさに包まれて神秘的でさえあった。

 

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コンクリートブロック造の通路は長い階段を上り詰めた先で、地上部分を這っている。3月下旬の残雪が、真っ白な光を通路に反射する。現役のJRの駅の設備でありながら、はっきり言って廃墟のようだ。無理して良く言うならばル・トロネ修道院のようか。満身創痍の壁の汚れが、冬の風雪の厳しさを物語る。

 

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東京から3時間ほど。一度下車すると次の電車は三時間ほどやってこない。寒々しい駅構内は、登山客、スキー客、鉄道マニア以外はおいそれと足の向くような場所ではなかったが、最近の鉄道系youtuber のネタとしてこすられまくったせいなのか。去年から駅そのものがキャンプ場になったらしい。カフェも併設された。予算の都合上仕方ないのか、自覚的に狙ってそうなのか。駅全体の壁を緑やピンクに塗り替えて、いかにも観光地然とした姿にするのではなく、荒々しいコンクリート壁の部屋に申し訳程度に椅子やテーブルを置いて、喫茶モグラと銘打っている。人工物と自然がぶつかりあう荒涼とした場所だからこそ、ささやかな人の気配にほっとする。これまでは誰もいない荒涼とした駅のベンチで一人過ごさなければいけなかったが、温かいストーブの横でコーヒーを飲みながらゆっくりと待つことができる。ただひたすらに寒くて辺鄙なだけだった場所が、最高に静かで落ち着く場所になった。少しほっとする程度の、最低限にとどめた改修で、東京からわざわざ足を足を運びたくなるような場所ができている。

 

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山を下りて水上の温泉街に降りていくと、バブル期のホテル街がまるまる廃墟になっていた。鉄道や道路などのインフラを残して、余暇の空間はそぎ落とされていった。骨と皮や臓器だけを残して人間の生息域は再びスキニーなものに戻っていく。

 

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僕たちは前橋まで下ってきた。イタリア料理店と、どら焼き屋の店舗デザイン。前橋の街を代表する素材として、レンガがいたるところで用いられている。

 

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    前橋の市街地から車を少し走らせると、利根川の岸に沿って野球場や公園が続く。利根川も上流なので堤が低く、川底の砂利もゴロゴロと大きい様が運転席からよく見える。川辺の草原も大きく感じた。いくつかの信号を右に左に曲がると、今度は大きな枝垂桜が咲いている。そこからちょっと進むとお目当てのパン屋があった。

 かわいらしい見た目とは裏腹に、スキニーといえるほどに切り詰められた機能主義の建築だった。薪で炊いた火で焼くパンの窯と厨房、販売スペースのある地上レベルと、テントのようにちょこんと乗った2階の居住スペース。冬はいいが夏は窯の熱と屋根の熱で暑そうだ。現地に行くまで知らなかったが、この建築は美術館の庭に面するように建てられている。うねるような屋根の垂木は、あるところでは木の茂みをよけて切りかかれ、あるところでは申し訳程度に販売スペースの窓の上にせり出している。自分はこれをホウボウ(砂地の海底を歩く、進化によってヒレの細い骨が伸びた魚)のヒレに似ていると思った。ついうっかりヒレの先まで屋根を張ってしまわないところに、強いポリシーを感じる。

 

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  床を打ち抜き、壁を崩し、柱と梁だけの荒々しい姿を晒したかに見える白井屋ホテルのラウンジも、よく見ると床を抜いて荒れた小口の部分は、丁寧にモルタルで補修されていた。せっかくなのだからもっと荒々しく、スパゲッティみたいな鉄筋がぼそぼその切断面からはみ出しているぐらいの勇気が欲しかった。

 

廃墟のような空間と

丘のような空間

現代建築のような空間

 

が、一つのホテルの中に並置されているのはわかった。ホテルの外には、本物の廃墟も丘もたくさんあった。車のアクセルを踏み込んで群馬の広大な大地を旅をしたからか。白井屋ホテルの丘や、廃墟のようなラウンジはがらんどうのように見えて、どうしても「~のようなもの」というイメージ、答えが先に立てられているように見えてしまった。


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 前橋で見た白井屋ホテル以外の二つの建築群は、スキニーな最低限の機能を持ったヴォリュームが屋外を囲む形になっている。これらの差は建築を「空間」という単位でとらえているか、「物質と隙間」によってとらえているかかもしれない。そしてこの旅を通して、廃墟になってしまったホテル群や、峠を越えるための人工物の姿を目の当たりにしたからか、建築家が用意したかっこ付きの「空間」に僕は限界を感じた。

その建築がいくら「〜ぽさ」を内包させていてもやはり本物の魅力にはかなわない。建築には建築の、本物の魅力があるはずだ。

四つ木4.3万

僕はなぜここに”流れついたのか”

ある僕は日突然縁もゆかりもない、四つ木というに街に廃墟を借りた。きっかけは「改装可能物件」で検索して見つかったネットのページ、「太っ腹すぎる平屋」。「最近四つ木に引っ越して~」と話して、ピンとくる人はあまりいないかもしれない。かくいう自分も「四つ木」は交通情報で聞くぐらい、よく渋滞しているということぐらいしか知らなかった。

megalodon.jp

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建物は当然、ある場所、ある街にあるわけだけど。建物の壁から外は不動産屋のサイトからはわからない。 当時はそれでもよかった。どうせ自分で家を借りるなら、月々の家賃を漫然と払うのはやめよう、とだけ考えていた。家でネットを見てゴロゴロしてたらひと月なんて一瞬で過ぎてしまう。4~5万円、そこそこのカメラが買えるような額が、自動的に引き落とされていくことが僕にはどうしても許せなかった。4~5万の買い物を毎月するならば、いろいろな角度からなめるように見回して、楽しみ尽くしたい。家を4~5万でかりるということも本来そういうことなんじゃないのか。しかも僕は何かしらの固い素材をのこぎりで切るのが好きだった。家賃と面積、間取り、原状復帰不要、ある一定の条件を満たしていることを確認したら、あまり悩まずにさっさと借りてしまった。

 さて家の鍵の番号を教わって、駅からふらふら歩いて街を見回し、家に着いたら窓を全部開けて、よどんだ空気を入れ替えた。その場所に立ってみて町や家の様子から、ああなるほどねと妙に納得したこともあったけど、ここの場所ではそれ以上にご近所さんたちが聞いてもいないのに集まってきて、僕にいろいろ話して聞かせてくれた。最初に住んでいたのは中国人だったとか、ネパール人だったとか、トルコ人だったとか、みんな過去の住人の事を悪気なしに人種で呼んだ。いったい誰が、いつ住んでいたのかよくわからないが、様々な出自を持つ3~4人が入れ代わり、立ち代わりこの一軒家を分割して暮らしていたようだ。そして僕はここの家主となった。僕は20年ぶりの日本人だという。僕が廃墟を借りた四つ木の街は、荒川放水路のそば、ゼロメートル地帯に、木造住宅が密集するコテコテの下町だった。腕を広げればふさがってしまうような裏路地に、様々な出自の人間が密集して暮らしている。新入りの僕のことが気になるようで、換気用に開け放った窓から覗き込んで、いろいろな人が話しかけてきてくれた。僕もそれを好機とみて、前の住民が残していったすだれやカーテンをすべて取り払い、窓を開け放ったままにした。

 古き良き、昭和レトロ、下町流の~とかいって美化しきれない部分も多くある。もっと切実な問題として、壊れた雨どいや、はがれかけたトタンの屋根など。自分と周囲のために修理しなくてはならない部分がいくつもある。高齢化、防災、貧富の格差、人種差別、性差別、ニュースで聞いた大きな問題が、小さく、切実で卑近な問題として、台風の日の雨どいの排水力となって立ち現れてくる。隣り合う様々な人間とまずは快適に暮らしていくために、建築がある。ここにはいろいろな場所からやってきた人間が流れ着き、身を寄せ合い住み着いている。古くは東アジアの国々から、今では広く様々な国の人々が。括弧つきでない多様性を目の当たりにした。こうして僕は、やっぱり自分のためだけではつまらないと率直に思った。古い建築が好き、変わった街が好き、多様性を認めたい。口先で言うのは簡単で、きれいごとになってしまいかねないことも、この建物について自分ごととして考えることを介して、より責任を持って向き合えそうな気がした。